子供にとって、音楽を教わることは楽しいことでしょうか。
それはやり方にもよるし、その子供の素質にもよると言えます。
もともと、音楽に反応がいい子供がいるし、その逆もある。人間には特性や向き不向きというものはあるものです。
誰でも自分ができることは好むことが多いでしょう。
音楽を好む子供でも、叩くことが好きな子供もいるし、歌うことが好きな子供もいます。音楽を聴くと喜んで体を動かす子供もいます。
まずは、こうした一人ひとりの特性にあったやり方を選択すべきでしょう。
子供が苦痛に思うようなことをわざざわやる必要はありません。
できる範囲で様々な素材を与えてみて、興味を持ったものから取り組んでいくことが大切です。
子供の多くは電子キーボードが好きだったりします。おもちゃの電子キーボードがあり、たくさんのボタンがついていて、自動演奏がされたりします。家庭ではこれを楽しむのも、音楽を楽しむことの一つのあり方でしょう。
しかし、音楽教室ではもう少し教師の選択が可能な素材を与えます。おもちゃ電子キーボードは教師の出る幕がなくなってしまうほど、子供が熱中してしまうため、もっとプリミティブな楽器を使います。ごく普通のミニ電子キーボードは電子ピアノの前段階として使います。
いや、おもちゃの電子キーボードも否定はしません。長時間でなければ使ってもいいかもしれません。巷にあふれているため、教室ではあえて使わなくてもいいと考えるだけです。多様な体験を子供にしてもらうことが主眼だからです。
もっとも重要なものは歌だと考えます。叩くのが好きな子供は、歌より叩くことかもしれません。
わらべうたは、何か不思議な力があるようです。子供はたいして保育園などで体験していない場合でも、反応を示すことが多いと感じています。
わらべうたは日本の伝統的な音楽感を持っています。それはクラシック音楽をするうえでは好ましい音楽感ではないかもしれません。
しかし、日本で生まれた人である以上、その日本で育まれたアイデンティティは一生大切なものになると考えます。
たとえ、将来ヨーロッパで活躍する音楽家になったとしても、幼少期に日本のわらべうたに親しんだ経験は、技術以前にその人を支えるものとなるでしょう。それ以前に日本人の持つ、様々な文化の違いは、なくせるものではありません。あとから新しい文化をそこに足していくということになります。
これら叩いたり、歌ったりすることは、すべて「遊び」として行わなければなりません。
子供自身が「遊び」と認識していることが重要です。
うるさい「しつけ」などは不要です。いかに存分に遊んでもらうかということを考えます。
子供たちは、あまりにも常に注意されています。
そのような環境で音楽を真に楽しむことはできません。
なぜ子供の頃に音楽を学ぶ必要があるのでしょうか。
それは小さいうちのほうが脳がやわらかくて音感を埋め込みやすいからではありません。
子供はそのような実験材料ではありません。
子供として完結している存在です。
その子供が子供である所以は、遊びを好むということです。人は好むものから最大に学びます。
そして音楽は心が開放されたときに現れます。
大人でもお酒を飲んだときに歌いたくなるでしょう。
心がお酒によって抑圧されているものが取れ、開放されるからです。
音楽は心の開放とともにあります。
子供は遊んでいるときが最も心が開放されています。
だから音楽は「遊び」でないといけないのです。