言葉、身体、音楽

言葉と身体と音楽は一体だと思っています。

特に幼児教育では重要です。音楽の発生から考えても、もともと音楽は踊りや詩などと一体でした。

人間はかなり古くから踊り歌いました。もしかしたら言葉より先かもしれません。

また、そこには遊びの要素があったと思います。占いや祭りなどのかたちをとっていたかもしれませんが、それもまた遊びの要素があるのではないでしょうか。くじ引きのようなものも占いの一種だとすれば、遊び的です。

当教室では「わらべうた」を重視します。「わらべうた」は、常に身体性を伴います。鞠つきであるとか、身体性のある遊びと一体です。
かごめかごめでは輪になってぐるぐる周り、中心にいる子どもが、後ろの正面だあれ、という歌が終わると同時に後ろに誰がいるかを当てます。このように身体性、あそびと歌が一体となっているのです。

また、歌は当然ですが、言葉とともにあります。
昔のジャズミュージシャンは、アドリブをしているとき、歌詞を頭の中で歌っている人がいたそうです。今のミュージシャンの多くはドレミを思い浮かべていたり、感覚的に音そのものを感じていると思いますが、もともとジャズ・スタンダードは有名な歌であり、その歌詞とメロディーは自明なことだったので、頭のなかで歌を歌いながら、楽器でアドリブするということは自然だったのかもしれません。

民族音楽の多くが歌です。多くのプリミティブな音楽が子どもにとって良い影響があるとあると思います。
器楽的な西洋音楽の構造を教える前に、古くから伝わる身体性を伴った歌から音楽に入ることが、子どもの心と身体を自然なかたちで育んでいくと考えています。

そのため、言葉と身体、つまり、詩や物語、踊りや遊びのしぐさなども、音楽とともにある要素として扱います。

「どちらにしようかな、天の神様の言う通り なのなのな」などもプリミティブな音楽のかたちと思っています。